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氣まぐれ雑想記には以前、『太陽に問う』のことを書いた。
太陽に問う。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)
曲が完成したすぐ後、2019年の1月の記事。
つい最近、Cメロなどを書き替えたので。
このブログにも、書き残しておこうと思う。
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これは、まずタイトルがうまれた。
空耳ならぬ、「空目」をした。
YouTubeで「太陽に問う」というタイトルを見た。
と思ったのだけど、どうやら見間違いだったようだ。
ちょうど、「問い」というものを考えていたときだった。
正確には、以前からテーマではあった、ちょうどこの時期また浮上してきた。
(↑昨年、末っ子と行った京都のカフェのカウンターに置いてあった本)
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「太陽の塔」の言葉遊び、ということで。
岡本太郎の本などを読んで、歌詞に反映させようと思った。
が、これはうまくいかなかった。
うまくいかなかったのだけど、でもそれはそれとして残した。
上滑りしてもがいているからこそ、「太陽に訊いてみれば?」という流れになった。
一応完成させたものの、部分的に納得いかないところがあって。
特に、展開を変えるCメロは、正直氣に入らなかった。
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やっぱり何とかしたいと思って、何度か試みる。
Cメロは、太陽の塔内部をイメージして、雰囲氣をがらっと変えてみたかった。
部分転調を考えていたのだけど、それをやめて、拍子を変えることにした。
それも何度か試して、今回やっと何とかなった。
全体をチェックして、Aメロの2番が韻を踏んでいることに氣付いた。
全然意識していなくて、でもAメロ1番も変えられそうだったので、これも変更。
若干違和感のある箇所だったのが、韻も踏んでうまくまとまってくれた。
ということで、今度こそ完成!
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このタイミングで、映画『君たちはどう生きるか』を観た。
ふと考えてみればこの『太陽に問う』は、「どう生きるか」がテーマじゃないか。
どう生きるか、というのは常に、自分に問い続けること。
人にジャッジされることではなく、けれど自分ではチェックを怠らない。
何のチェックか、というと。
「挑んでいるか」
「抗っているか」
もしくは、「何に怒りを覚えたのか」「それは自分が選びたいと思って選んだのか」。
まあいいか、という精神も必要だけど、そればっかりでは自分を偽ってしまう。
そして、それが当たり前になって、感覚がどんどん鈍くなっていく。
太陽に問うどころか、「聞く耳」をもたなくなっていく。
聞く耳をもたない人が、最近増えている、と感じる。
そういう人は、自分の内なる声も聞こえなくなっている。
そんな生き方するなよ、と自分に言い聞かせる。
『太陽に問う』は、そういう歌詞なのかもしれない。
/芥知之介(吟遊ソングライター)