キシダ式Songwriting Notes

オリジナルソングのこと、自己流の作詞作曲について、綴っていきます。

日本語しばり①


キシダ式Songwritingでは、いくつかの「しばり」がある。
「禁止」というよりは、「お約束」のようなもの。

そうすることで、方向性がさだめやすくなる。

「同じ言葉をあまり使わない」「文字数」「日本語のみ」
「しばり」ということでは、今思い付くのはこの辺か。

「韻を踏む」というのも、ある意味での「しばり」かもしれない。

今回は、「日本語のみ」について、簡単に書いてみる。



日本語のみで書く、いわゆる「横文字」を使わない。

真っ先に連想するのは、やはり「はっぴいえんど」だろう。
今調べたら、「日本語ロック論争」というWikiまであった。

「日本語はロックのメロディーに乗らない」

これは、残念ながらほんとにそうだと思う。
日本語しばりで曲を書くと、どうしても「ロック」にならない。
ロックは好きなのに、今までつくったオリジナル曲は、どうもロックじゃない。

それでも日本語にこだわるのは、単純に英語や他の言語では書けないから。
それこそ、最初は英語で書くことや、誰かに書いてもらうことも考えた。
でも、それでは全く曲が書けなかったから。

それならいっそのこと、「横文字」は使わない、と決めてしまうことにした。
日本の歌は、突然英文や英単語が出てくる、あれがどうも不自然だと思っていた。
歌詞に限らず、「和製英語」とかそもそもあまり好きじゃないし。
ビジネス用語とかも、横文字の多用は敬遠される。

ちなみに、日本語の歌をカバーするとき、じゃあそれらのことが氣になるかというと。
例えば井上陽水とか、むしろあんな風に書けたらといいのだけど。

 【部屋のドアは金属のメタルで】(リバーサイド ホテル)

意味があるんだかないんだか、でもぼくには書けない。
ホテルはリバーサイド、も何か言っているようで何も言っていない。
それに、川沿いリバーサイド、と続くのだ。

太刀打ちできるわけがない。
いつか、そんな領域に行ってみたい氣もするが、今はまだムリだと思っている。

だから、今は「日本語しばり」で作詞をする。


「英語」や「横文字」を、禁止したり否定しているわけじゃない。
そして、「日本語は優れている」みたいな主張がしたいわけでもない。

戦前戦中の「敵性語の検閲」などでも、もちろんない。

日常会話でもそうだけど、日本語だけで話すのはむずかしい。
「横文字」を使った方が「便利」だったり、うまく説明できたり。
そもそも、日本語に置き換えができないようなものも多い。

それでも、この「しばり」をするのは、「便利さ」に安易に飛びつかないため。



では、実際にどうやってきたか。
実践編は次回の投稿で書くことにする。

 /岸田知之(吟遊ソングライター)