キシダ式Songwriting Notes

オリジナルソングのこと、自己流の作詞作曲について、綴っていきます。

『Mr. Ukulele Man』とは誰か。


今回は、オリジナルソング『Mr. Ukulele Man』について。

前回書いたように、タイトルはちょっとした思い付き。
Bob Dylanの『Mr. Tambourine Man』をもじってみたら、案外よかった。

しかし、この「ミスターウクレレマン」とは「誰」なのか。
そこがなかなか定まらずに、見極められずに、4年以上経ってしまい。



これは「誰」の歌で、それはどんな人なのか。

歌詞を書くにあたって、「設定」はとても重要。
これは、小説などにも言えることだと思う。
登場人物や世界観、そしてストーリーのテーマ。


この曲の歌詞は、結果的にちょっとした短いストーリー仕立てになった。
短編というよりも、「ラフスケッチ」に近いような。


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このイラストは、曲が完成してから、動画用にささっと描いてみたもの。
動画、と言ってもいつも静止画+音源としてUPしている。
(鉛筆で裏紙に下書き、それを元にiPadのアプリで作画)

母から、この歌(と絵)から「スナフキン」をイメージした、と言われて。
この絵を描いているときには確かに、「スナフキンっぽいな」と自分でも思った。
でも、歌詞を書いているとき意識はしてなかった、つもりだったけれど。

考えてみれば、子どもの頃からスナフキンには憧れていた。
無意識的に、彼をMr. Ukulele Manとしてイメージしていたのかも。
それに氣付いていたら、もっと早く歌詞が書けていた可能性は、あるな。

まあでも、その「遠回り」も結果的によかった。



この歌詞の「主人公」は、Mr. Ukulele Manその人ではない。

初期案から、楽しげにウクレレを弾くMr.は、実は深い哀しみを抱えていて。
どこかへ去っていってしまう、そんなイメージを浮かべていた。
(その辺も、今思えばスナフキンっぽい)

で、主人公はMr.に憧れる少女、を考えていて、一人称を「私」にしていた。

けれど、ふと氣付く。
この主人公が、次の「Mr. Ukulele Man」になるんじゃないか、と。

スナフキンもきっとそう、ただ「ヒーロー視」されるなんて、御免だろう。



Mr. Ukulele Manは、とあるライブで出逢った人を想定してみたこともあって。
そのときはAメロがちょこっとできただけで、うまくいかなかった。
(最初の一行「ある晴れた日曜日」だけは残った)

2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻した。
パレスチナミャンマー、これまでにも「戦争」はずっとあった。

ただ、今のこの国の現状が、ロシアと妙に重なる部分を感じてしまった。
このタイミングで、「戦争やめろ」と、強く何度も言わなければいけない。
ロシアのように、あっという間に「No War」と掲げられなくなってしまうから。

これまでぼくは、明確に「反戦歌」と言えるものをつくれていなかった。
反戦的な要素のあるものは、いくつかあるけれど)

『Mr. Ukulele Man』は反戦歌だと氣付いて、ようやく歌詞が出てきた。

そこからまず、ビクトル・ハラのことを連想した。
それから、『Aloha 'Oe』をつくったハワイ王国第8代女王リリウオカラニのイメージも重なった。

ロシアで戦争反対をする人たち、歌を歌ったことで逮捕、連行されるされる人。
そんな動画を見て、ますます歌の方向性がはっきりしていく。

結果、Mr. Ukulele Manが登場するのは1番だけ。
彼はどこかへ早々に逃げたのか、連行されてしまったのか。
主人公の「ぼく」は、希望を失い、無氣力になってしまう。

それでも、胸にはいつも歌があって、いつか自分がMr. Ukulele Manになる(だろう)。

このストーリーになった大きな転機は、こんな歌詞がふと浮かんだから。

 Mr. Ukulele Man 生きのびることに何の意味があるの
 Mr. Ukulele Man 歌うことさえも禁じられた街で

(後に、生きのびることはこんなに苦しいの、に書き換え)

その後、ほぼ完成してから、サビにある一文を思い付く。
ほんの一部分を変えただけで、意味が変わるのはおもしろい。

 Mr. Ukulele Man 歌うことさえも禁じていた街で



これまた思った以上に長くなってしまった。
でも、今これを書き留めておかなかったら、忘れてしまうので。

この曲の歌詞が一氣に書けたことは、本当に大きかった。
浮かばないときや詰まったとき、この投稿を見返すといいかもしれない。

「設定」を決めると、不思議と登場人物たちが勝手に動いてくれる。
あとはそれをどう言葉にするか。

『Mr. Ukulele Man』の歌詞については、今回はこの辺で。

 /岸田知之(吟遊ソングライター)

『Mr. Ukulele Man』について。


「キシダ式Songwriting」、というからには。
まずは、自分の作詞作曲の流れをまとめてみる、つもりだったのだけど。
ざっくりと流れだけ、のはずがどうも長くなってしまう。
そんなわけで、難航中。

それと今、早急に仕上げないといけない曲があったので。
ブログよりもそちらを優先、先週なんとか完成させることができた。

ということで、流れの方はまた後々。
今回は、その曲のことを書き留めておきたい。



つくったのは、『Mr. Ukulele Man』という曲。
タイトルは、Bob Dylanの『Mr. Tambourine Man』からの連想。

Mr. Ukulele Man、結構氣に入っていて。
Twitterのアカウント名などにも使用。
(ちなみに、ぼく以外に使っている人は今のところいない様子)

これを思い付いた時期は、忘れてしまった。
結構前に、タイトルだけは思い付いていた。

以前使っていたPCのメモには、最後の更新が2018年8月とある。


サビとAメロのメロディーは比較的早く浮かんだ、ように記憶している。
けれど、歌詞がとにかく出てこなかった。
Mr. Ukulele Manとは果たして誰なのか。
それが自分でもよくわからないまま、進むべき道がわからなくて。

それが、最近になって流れが変わった。

ストックしている曲やアイデアなどは、定期的に見返している。
2月に一家で新型コロナにかかったせいで、ひと月以上ほかにできることがなく。
おかげで、その作業がだいぶ捗った。

ロシアがウクライナに侵略行為をしたこと、それにも大きく影響された。
そうか、この曲は「反戦歌」になるのかもしれない、と思い付いた。

それから、ソラノネ庭市というマルシェイベントでのライブに、キペルス・パピルスで出てほしいとオファーをもらったこと。
キペパピちさちゃんが、ウクレレピクニック的に、というアイデアを出してくれたこともキッカケになって。

「みんなで弾こう歌おう」をやろう、その課題曲として『Mr.〜』を完成させよう。
そうして、一氣に書き上げた。


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(↑秋に開催されたときの、ソラノネ庭市の看板)


とまあ、経緯を書くだけでもこんな分量。
歌の内容については、次回。

ともかく、締め切りに間に合うなんて、ぼくにとってはものすごい快挙だった。
ゼロからのスタートではないにしても、3週間ほどで完成できたのは嬉しい。

 /岸田知之(吟遊ソングライター)

キシダ式、とは?


キシダ式Songwriting Notes。
「キシダ式」とは何なのか?というと。

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以前、友人のカフェで「珈琲担当」をしていたことがある。
珈琲の淹れ方をいろいろ調べたり、試したりした。

珈琲の用語には、なぜか?「〇〇式」という呼び名が多い。
コーノ式だったり、松屋式だったり。

自分なら「キシダ式(岸田式)」だな、と考えていて、ふと氣付いてしまった。
これ、上から読んでも下から読んでも同じ、「回文だ!」と。

KI SHI DA SHI KI

珈琲の淹れ方に名前を付けたいとか、別にどうでもよかった。
ただ、ぼくは言葉遊びが大好きだから、これは是非使ってみたい。

それで、Instagramも屋号として使っていた「せれんでぃっぽ☆」から、「キシダ式」に名前を変えて、ロゴもちょこっと変えたりして。

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ところが、滋賀を離れてからは、人に珈琲を淹れる機会もなくなって。
しかも昨年、このInstagramにログインできなくなってしまったこともあって。
(ケータイをもっていないので、SMS認証ができない)

「キシダ式」を使う場面がなくなってしまって、残念に思っていた。



今回、歌づくりに関するブログをつくるときに。
「キシダ式」をここでも使ったらどうか、と思い付いた。

作詞作曲について、名前を付けるほどのものかは、正直よくわからない。
ただ、改めて自分のやり方をまとめてみよう、というのがこのブログの趣旨だ。
それが、「キシダ式」メソッドと呼べるような、独自性などが見えてきたらいいな、と思っている。
(正直、なければない、でも別に構わないのだけど、一応そう宣言してみる)


ちなみに、これまでも「ネーミング」にはこだわって、いろいろ遊んできた。
それは、曲のタイトルを決めるのにも結構役立っているように思う。

先に「冠」ができてしまっているのは、何とも仰々しい氣もするのだけど。
案外、名前を決めてしまうと、方向性も決まったりするもの。

キシダ式のSongwriting、これからぼちぼち書いていこうと思う。

 /岸田知之(吟遊ソングライター)

改めて、自己紹介。


吟遊ソングライターの岸田知之(とむやん)です。

2015年9月から、「とむやんの氣まぐれ雑想記」をはてなブログで書いています。

自己紹介。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)
(↑メインブログをはじめたときの、自己紹介)

音楽活動は2013年2月から。
ひょんなことから友人とバンドを組むことになり。
「キペルス・パピルス」として、ときどき人前で歌う機会がありました。

https://www.instagram.com/cyperuspapyrus2013/

 

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(↑だいぶ前に、iPadでつくってみたキペパピのロゴマーク


オリジナルの歌をつくりたい、とはずっと前から思っていたものの。
音楽理論も知らず、どうつくったらいいのか皆目見当もつかず、でした。

初めて歌ができたのは、2016年のこと。
それから細々とつくり続け、今は20曲ほどのオリジナルがあります。

40歳過ぎて、かなり「遅咲き」のソングライターデビュー。
年に数曲しかつくれていないので、レパートリーはまだ少ないです。

ちなみに、「吟遊ソングライター」とは、友人と話をしていて思い付いた造語。
「シンガー」とは胸張って言えない、でも「吟遊詩人」は流石に氣恥ずかしい。

ただ、「吟遊」っておもしろい字面だなって。
「今を口にし、遊ぶ」っていいな、と。
それで、ミックスして、「シンガー」を「吟遊」に変えてみたのでした。

まあ、「ソングライター」の部分も自信満々というわけではありません。
それでも、それなりに「いいのができた!」と思える歌もできて。

今も発展途上、まだまだ頼りないソングライティングではありますが。
少しは自分なりの「コツ」も掴めてきたような。


そんなわけで、自分流の作詞作曲の仕方を書き残しておきたいな、と思いました。
自分がよくわかっていなかったり、案外すぐに忘れてしまったりするので。

ほんとに、あんなに苦労した曲づくりでも、どうやって進めたのか、一年もすると全然思い出せない。
喉元過ぎれば、と言うけれど、消化しちゃうともう結構どうでもよくなってしまう。


そんなわけで、【キシダ式Songwriting Notes】と題して、歌づくりのこと、オリジナルソングのことなど、このブログに書き綴っていくつもりです。

残念ながら、「作詞作曲の極意教えます!」とか、「How-to」ものではありません。
それでも、もしかしたらちょっとは誰かの参考になったりする、かもしれない。
そうなったらいいなぁ。

基本的には、自分用の備忘録のようなブログ、ではあるのですが。
それでももしどなたかの目に留まり、ちょこっとでも楽しんでもらえたら嬉しいです。

これから末永く、よろしくお願いいたします。

 /岸田知之(吟遊ソングライター)